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Anthology

  • 2007-12-16 (Sun)
  • Film

pareisjetaime3.jpgおはようございます。
晴れた冬の朝がとても好きです。
思春期の頃、窓際で寝ていたので目が覚めると最初に空が見えました。
その日の空で1日が決まるようなもので、とりわけ空気が乾いた日にはピアノの音がとても綺麗でした。
再び、目が覚めると最初に空が見えたのはロンドンの家でした。
そのせいで未だに何か繋がっている気がするのかもしれません。
カーテンは要りません。

何かに憤慨したり絶望したりしながらも、欲望があるから人間は美しくて。
その証を何かに留めようと、音を奏でたりペンを握ったりファインダーを覗いたりすることは決して空虚な事ではありませんね。
空が人々の悲しみを吸い込み青いのならば、芸術が帯びる青はもっと深いものでしょう。
でも空に太陽があるように、曇りや雪の日でもそこにあるように、芸術にも一筋の光があれと思います。

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paris je t'aimeを観ました。
パリを舞台にした18組のショートフィルム集なのですが、愛がテーマになっていて。
愛の始まりや愛の終わり、親子の愛や慈悲、コメディタッチな物やSFっぽいものなど多種多様なのですが、
一見バラバラに見える各短編が自然に繋がっていて、とても良かったです。
特に14区。
カナダのおばちゃんがパリに旅行した時の作文なのですが、素晴らしかった。
一人旅で必ず現れるあの感覚を見事に言葉に映像にしていました。

一つの街といっても、それをテーマに多くの人が作るものは多くの側面を持っていて、
当たり前のことなのだけれども、主観で生活する日常では以外と気づきにくい物だったりします。
街が持つ感情を見る俯瞰性は、独りの時も独りじゃないという気分にさせてくれます。

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sorrow of orion

  • 2007-11-24 (Sat)
  • Film



前に日記を書いたのが21日で、とても時間が経ってしまったかのように感じるのだけれど、何の事は無いたったの3日。
移動距離というのは日常に対して比較して計算するものなので、その意味では結構動いたから早く感じる(もしくは時間が長く感じる)のかもしれない。

仕事終わりに代官山に行きsgt/勝井祐二+中村達也/PARAを見る。
sgtには間に合わ無かったのだけれど、どの演奏も良くって驚いたのだけれど、VJが失禁ものだった。
迫田遥さんという美人さんなのだけれど、手数の多さ想像力の豊かさに驚かされてしまった。
特に勝井さんの時のは激シブだったなー
などと思い返しながら、会場で会った近所の友達と中華料理屋で一杯やってから帰宅。
一口水餃子がとても美味しくてしかも安い店に行きたい人はご一報を。

木曜日は仕事で会議があり青山通りを歩く。最近は散歩がてら青山辺りをフラフラするのが楽しい。
けれども、もうすぐ冬。
寒かったら毛皮を着ようと思うのだけれど、青山なら浮く心配もない。

帰り道、またしても突然曲のアイディアが思いつく。
まだ譜面はおこしてないけれど、上手く再現できるかという不安と期待で一杯だ。

帰ってからは、昨日の迫田さんに影響されてかmusic videoを作った。
video cameraはあるのだけれど、もともと写真から始めた人間なので、写真を素材にして作った。
ちょっと作ったらはまってしまって、でもエフェクトのレンダリングには時間がかかるので、結局終わったのは午前4時。
達成感と浮いた思考回路と朝方の非現実感が重なった状況で完成を観て、気怠い多幸感の中で眠りについたのです。
(それがこれ↑)

金曜日は祝日なのでお休みなのだが、やらなければいけない仕事があったので、終わらせてから阿佐ヶ谷へ。
最近パパになったガンちゃんの車に乗って柏まで旅団のライブをしに行きました。
西に向かう首都高に乗ると、とてもセンチメンタルになってしまうのは、空港に記憶があるからだと思う。
その中でも印象的なのは、友人が留学するときに4~5人で車に乗り彼を送って行った時で、確か当時の僕の彼女が運転していた気がする。
(僕は記憶を捏造する癖があるので確かではないけれど、今朝の夢にその娘が出て来て少し驚いた。)
ビル群は太陽を反射する為にたてられたのかもしれない。

ライブ、なかなか良かった。(ただ、もっと美味しい時間にやってたらもっと良かったと思います。)
もうアヴェレージは出せるようになったと思うし、結構柔軟になって来ている。
まだまだ先は長い/険しい事を知りながら、仲間を肯定する事は大事だと最近思う。
それがただの馴れ合いに他人に見られる様じゃ終わりだけれど、やるべき事をやって真剣ならそんな事は無い。
(個人的に、最近は馴れ合いの人たちが多くてうんざりする。そんなの家でままごとでもやってくれ。)
でもね、やっぱり先輩達の演奏を間近でみるとグウの音もでなくなる。悔しいけど。
(gomaさんの時、僕と団長はステージ脇から見てた。)
お客さんも沢山入ってたし、企画者さんはこれからも頑張ってほしい。

人はそんなに強いものではない。
という事は知っているが、弱さだけを肯定していては意味が無い。同時に強さも肯定しなくては。
人はそんなに弱いものではない。

今日はゆっくり寝て、ゆっくり過ごしている。
原美術館に行く予定だったのだけれど、明日にした。
クレープを食べながらアッサムティを飲み、部屋にはメキシコ産のdownyの匂いが充満している。
かかっているのは秋のワルツ。

inland empire

  • 2007-09-18 (Tue)
  • Film

main.jpg『inland empire』

先日、ついに観に行ってきました。
感想レベルでしか書けない作品なのだけれど(もはや分析は通用しない)、売り文句である「三時間の悪夢」というのは言葉以上に見事に的を得ていますね。
相変わらず、時間軸/空間のカットアップが多様されているのですが、大筋はちゃんとあります。
しかしそれはメタファーとしての夢の中の話なので、不条理な場面も多発します。
人間が悪夢を見る動機とは何なのでしょう?
集合無意識につながる自己の無意識の表出を夢とするならば、夢を見るという事は「救い」にも似た行為なのでしょう。

「観るものではない、感じるものだ」とはリンチについて良く言われる事ですが、
コレばっかりは本当で、体験した後の世界が少し歪んで感じるのです。
(劇場の音効果も多大に影響しているので映画館をおすすめします。)
また、自分の夢や無意識とシンクロして、沢山の事柄が浮かび上がってきます。
あったかもしれない過去やこれから起こるかもしれない未来が。

瞬間への愛着が時間の流れを生む。
記憶は瞬間に宿るもので、本来、過去を回想するとき場面の時系列はランダムに現れるものだと思います。
いわゆるストーリーを作るのは、時系列に並べて流れとして理解しやすくする為ではないでしょうか。
イニャリトゥに代表される作家達は「記憶そのものの時系列」に沿ったスタイルで作品を作る。
(カットアップと呼ばれるのは現実サイドからの概念で、記憶サイドからすればストーリーこそが記憶のカットアップなのではないだろうか)
inland empireもある意味でそのスタイルなのですが、いくつもの世界のいくつもの主観で語られるので、集合無意識の海に飛び込んだような感覚になります。
つまり、自分(主人公を超え、鑑賞者までも)が記憶の具現者になるのです。

volver

  • 2007-07-02 (Mon)
  • Film

volver最近は映画をよく見ている気がします。
去年のカンヌの頃(ちょうど一年前くらいですね)に観たいと思っていたものをほぼ観ましたが、
しかし、日本は公開されるのが遅すぎですね。

昨日は六本木までPedro Almodovarの「Volver」を観に行きました。
「女性三部作」の三作目なのですが、とても素晴らしかったです。

ストーリー自体が秀逸であるし(脚本賞だったらしいですね)、女優の演技も素晴らしかったです。
ペネロペ・クルスの母国語であるスパニッシュでの演技は一線を画していると思います。
(僕はああいうグラマラス/ゴージャス系の女優は苦手なのですが、母性/太陽の象徴としてぴったりでした)
重く厳しい現実を乗り切ろうとする人間の強さ、その中でも女性だけが持つ強さが胸を打ちます。
詰まるところ男性には共感は出来ないのでしょうが、それでも結局は母親という女性から生を受けたので、
涙を流さずにはいられませんでした。

「Volver」というのは帰郷という意味で、古いタンゴの有名な曲です。
劇中でこの歌を歌うシーンがあるのですが、歌詞が何かを超越しています。

故郷に帰るということは痛みが伴うのだと思うし、それが怖くて実際、僕も帰郷できずにいます。
過去の思い出と対峙するというのは、時には残酷であるけれども、暖かいものでもあります。
僕にもいつか分かる時が来るのでしょうか。

それにしてもスパニッシュの響きには胸をかきむしられます。

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thumbsucker

  • 2007-02-14 (Wed)
  • Film

THUMBSUCKER最近はよく映画を観ています。
といってもDVDですが、とてもいいものに出会えていて素敵な感情が芽生えます。
「とても素晴らしい!」と絶賛するのではなく、「あれ素敵だよね」といった「ちょっといい感じ」というのが今の気分でもあります。

先日はmike millsの「thumbsucker」を観ました。
17歳になっても「親指しゃぶり」を止められない主人公が苦悩しながら成長してゆく姿が淡いピンクの感性で描かれています。
彼の作品を知ってる人は想像に難くないと思いますが、風刺的でありながら優しさがあります。
そして思春期というテーマはある意味せこいのですが(それは最も多感な時期であり、すべての大人が通り過ぎた事のあるセンチメンタルなユートピアだから、特別な感情を引き起こすのですが)、何かに依存しながら生きているのは全ての人間の性であるけれど、
そんな不安を抱きながら、何かを求めながら、少しずつ認め許しながら人は優しくなれるのでしょうね。

あと、やはり映像が奇麗ですね。
グラフィックあがりなのでその辺りは秀逸なのでしょう。
逢い引きをする廃墟がとても美しかった。
そして、elliott smithの曲が沢山使われています。それでもう完璧なのですが、マイクとエリオットは友人だったみたいですね。
彼の曲は優しい憂いに溢れていて永遠に時が止まってしまったかの様に思います。
僕が彼を好きなのは希望を歌いあげるのではなく、憂鬱の中に一筋の光を見いだすからです。
それは長いトンネルの先からゆっくりと光りが見えてくるようなもので、やはりそれでも時間は進んでいるのですね。

最近は気持ちがギザギザしていたので、とてもいい時に観ました。
「優しい気持ち」というのは一体何処から来て、何処に消えてゆくのでしょう?

ではまた。今日の雨はこころなしか優しい感じがします。

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98% cacao chocolat

  • 2007-01-29 (Mon)
  • Film

antoinetteお久し振りです。
先週は一つも記事を書きませんでしたね。
まあ忙しかったのですが、寝違えた首が悪化して首が回らなくなったりしていたので、なんとなくね、気が乗らなくて。

寝違えた時には自分で揉んだりしてはいけないらしいのですが、知らずに自分で揉んでいたら悪化し酷い状態でした。
朝起きて、「コレはヤバイ!」と思いネットで治療法を調べたところ、なんと、足首にあるツボを刺激すると緩和するらしい。
半信半疑でやってみたところ、嘘の様に首が楽になりました。
不思議ですね〜 患部とは直接関係の無い場所を刺激して直すんですから。
どうやら人体はフラクタルに出来ているということらしいですね。

あとは、marie antoinetteを観に行きました。
新宿、歌舞伎町でのレイトショーだったのですが、人が全然いなくて気持ち良く観る事ができました。
まあまあでしたね。
よく言えば「彼女にはスタイルがある」ですが、悪く言えば「処女作の焼直し」でした。
「想像通り」のエンターテイメントだったので、未知との遭遇に恍惚を感じる僕としては物足りなかったんですね。
さらに、分析してみると結構面白くて「コスプレ文化+セレブ文化+(反動としての)ロハス文化」という構図も見て取れて、
でもまあ、相変わらず画は綺麗だしポイント分かってるので、「上手いな〜」(厭らしい意味で)というか非常にアメリカ的でした。
ポップコーンを買っておいて良かった。
まあ、あれ以上深く書いてしまったら、世の中の可愛いガール達が「最後に食べたのは98%カカオのショコラだった状態」になってしまうので、
スイーツは甘さを残したまま終わるのが良いのでしょう。
でも、ラストのシーンは大好きでした。
ギロチンの代わりに映し出されたのは・・・

今日は久し振りのコートを着ました。
2005年に良く着ていたやつで、なんだかオレンジ色の街灯と霧を思い出します。
昨日はまた少し魂に近づけました。

お、晴れてきましたね。
ではまた、ごきげんよう。

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truth or consequences

  • 2006-10-06 (Fri)
  • Film

land of plenty多忙な日々の中にも潤いを持たなくてはいけないと思っていたら、今日は大雨ですね。
でも一昨日、久しぶりに素晴らしい映画をみました。
Wim Wendersの「Land of Plenty」なのですが、優しい潤いをもたらしてくれました。

911を題材にしている映画だとは知らずに借りて、観てみたら僕がいままで意識的に避けてきたテーマだったので、
(映画にしちゃいけないような気がして、その類の物はあまり見れないんです)少し怖かったのですが、これが素晴らしいとしか言いようがない。
監督の優しさ、人に対する愛情が滲み出ています。
今観るべき映画。

信じること。
他者と遭遇すること。
変化すること。
流れてゆくこと。

『不正や欺瞞、人を迷わせる愛国主義、誤った情報の操作といったものを扱っている。
もちろんドキュメンタリーではなくフィクションだから、"事実"よりもストーリーやキャラクターに重きを置いてはいる。
しかし最後には、登場人物たちの真実が観客を"政治的な認識"へと導き、それがどんな真実の認識にも負けないくらい胸を打つものであってほしいと思っている。
そうすれば変化の必要性も明らかになるだろう。
変化という概念を生きながらえさせ、変化の必要を喚起すること、それが映画にできる最も政治的なことだと思う。』
Wim Wenders

les egares

  • 2006-04-23 (Sun)
  • Film

les egaresこんばんわ。
昨日、時計を買いました。
安物ではあるけれど、ロンドンで父親から貰った腕時計が壊れてから半年振りに時間を纏った生活が始まりました。
10代の頃は腕時計をするのがあまり好きじゃなかったのですが(時間に縛られている気がして)、20才になった頃から時間を身につけると時間の管理がし易いことに気付き、それ以来ずっとつけていました。
ライブ中の時間の把握や(体感と実際の時間とは違うものだから)、駅までの時間とかをクウォーツで視覚的にパッと計算していました。

半年前に壊れてから僕は体感での時間を過ごしてきたのかもしれませんね。
そろそろ長いホリデーは終わりだよという意味かもしれません。

さて、今日も映画を観ました。

「かげろう」-Les Egares-

監督:アンドレ・テシネ  出演:エマニュエル・ベアール 、ギャスパー・ウリエル

『1940年6月、フランス・パリ。
この戦争で夫を亡くした教師のオディールは、13歳の息子フィリップと7歳の娘カティを車に乗せ、ナチス・ドイツ軍の侵攻から必死に逃れていた。
だがその途中、車が爆撃に見舞われてしまう。一緒に避難していた人々が次々と死んでいく中、オディールたちは不思議な魅力を秘めた17歳の青年イヴァンに助けられる。
母子はイヴァンを警戒しながらも、彼に導かれるまま森の奥深くへと進んでいく。
やがて彼らは、無人の屋敷に辿り着く。4人は安全なこの地で一緒に避難生活を始めるのだったが…。 』

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where r u,jack? - timeless melody

  • 2006-04-22 (Sat)
  • Film

tree of beansこんばんわ。
今日は家族が遊びに来ました。2月まで実家に居たので2ヵ月振りですね。
その間に親父が指を怪我したり、妹は中学生になったりして、いろいろ変化がありました。
親父もだいぶ回復してきてるみたいで良かった。
妹は吹奏楽に入りたいらしいです。僕に似て音楽が好きみたい。saxやりたいって(笑)
そしたらfree jazzの英才教育しちゃうんだろうな〜。可愛いもんですよ。
おじいちゃん・おばあちゃんも元気そうで、老いは感じるけれども、温かいものです。
吉祥寺に出かけて、デパートなどを回りました。
高校や大学の始めの頃は家族とデパートなんて死ぬほど恥ずかしかったのに、今はなんか嬉しいですね。
大人になったな。

この写真は今日買った「豆の木」です。
小さいんだよ。10cmくらいの高さで、ほら、豆の割れ目にジャックがいるでしょ?

なんだか、一気に元気になった。
やっぱり家族の力ってすごいね。
そう考えると結婚も凄いことだな。家族になるんだもんな。

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Sombre Dimanche

  • 2006-04-13 (Thu)
  • Film

gloomy sundaygloomy sunday
を観ました。
かの自殺の聖歌として有名な曲にまつわるお話です。

『1930年代末、ブダペストに一軒のレストランがオープンした。
レストランを支えるのは、オーナーのラズロ(ヨアヒム・クロール)と彼の若く美しい恋人イロナ・ヴァルナイ(エリカ・マロジャーン)。
あるとき、二人は名も無きピアノ弾きアラディ・アンドラーシュ(ステファノ・ディオジニ)を店に雇い入れる。
やがて、イロナとアラディはやがて惹かれ合うようになるが、三人が選んだのは、決別 ではなく、愛の共有だった。
イロナの誕生日、アラディはプレゼントの代わりに自作の曲“暗い日曜日”を捧げる。
危ういほどに美しい旋律を持つその曲は、ラズロの力添えでレコード化され世界中で大ヒットを遂げるが、レコードを聴きながら自殺するものが後を絶たず、「自殺の聖歌」という烙印を押される。
一方、レストランにはかつての常連客がナチス将校となって現れる。激動の時代、歌の背負った宿命に導かれ、運命を翻弄されていく男女。
ナチスの足音が忍び寄る中、死を呼ぶ旋律は、『真実』までも葬りさろうとしていた…。』

またしても、号泣です。
「暗い日曜日」は凄く好きな曲で(阿部薫もレパートリーにしていたんですよ)、憂鬱と恍惚がメロディーの中に同居しているんです。
my funny valentineもmy favourite thingsもそう。
的確に言葉にはできませんが、そういう曲は異常に僕の感情を揺さぶります。

時代と共に変わってしまうものがあって(特に戦争なんてそれの極地ですが)、時にそれは愛をも葬ろうとします。
消されてしまった愛は、存在しなかったのかと言えば、そうではありません。
しかし、思い出になるだけで、決して消してはならない時もあります。

人間には尊厳がありますが、権力が横行する時には持ち続ける事さえ困難になります。
ナチの将軍が横柄な態度で食後にあの曲をリクエストします。
でもピアニストは弾こうとしません。
殺されてもおかしくない、そんな時にも彼には尊厳がありました。
けっして愛を消したくない彼女はピアノの横に行き、自分が付けた詩で「暗い日曜日」を唄います。
彼女は以前「歌は独りの時にしか唄わないわ」と言っていたのに・・・
彼も伴奏を始め、全てが一体化します。

映画としての完成度は決して高くありませんが、それ以上にこの曲が強いメッセージを伝えています。
ピアニストは「あの曲が僕に何か伝えようとしている。でも今は未だ分からない。」と言っていました。
きっと死ぬ時には分かったのでしょう。
人間の意識を超えたところからのメッセージに耳を傾けてみるのは、罪ではありません。

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chocolate

  • 2006-04-10 (Mon)
  • Film

チョコレート今夜はこの映画を観ました。
ネタばれするので、観てない人は読まないほうがいいです。

『チョコレート (Monster's Ball )』

***死刑囚の夫と幼い息子を相次いで亡くした女レティシア(ハル・ベリー)と、死刑囚棟の元看守で愛を注ぐことを知る前に息子(ヒース・レジャー)を目の前で失った人種差別主義者の孤独な男ハンク(ビリー・ボブ・ソーントン)。
それぞれの家族の死をきっかけに、交わるはずのない二人が心を通じ合わせていく…。
深い喪失の淵から、愛を知ることによって人生を取り戻す男と女の新たな出発を描いた、心に染み入るビターなラヴ・ストーリー。 ***

団長に薦められて借りてみたんだけど、もう号泣。
切ないし、悲しいし、とても言葉にならない。まだ家族を亡くしていない僕になんてとても言葉にならない。
けれどね、レティシアは自分の夫の死刑執行をしたのがハンクだということを知らなくて。
でも愛してしまった後で事実を知ってしまって、怒りと悲しみと憎しみと愛情と嫌悪が混乱している状態でハンクとアイスクリームを食べるの。
もう放心状態なのに、自殺しても殺してもおかしくない状況の中で、ハンクは自分が使っていたプラスティックスプーンでアイスを食べさせてあげるのね。
その一瞬、彼女が微笑んでチョコレートアイスを食べるのね。
はい、もう号泣。

人種差別という大きなテーマがあって、差別主義者だった男が愛情を知っていくの。
プラスティックスプーンだって、「俺は黒人が一度使ったスプーンなんて使いたくない」っていう意思表示だし。
原題の「MONSTER'S BALL」(怪物の舞踏会)というのも意味深だしね。
でも、最期に自分が使っているので食べさせるんだよね。その前に一瞬レティシアはハンクの息子の墓に目をやってるの。
憎しみとか、悲しみとか、そういうものを全部含めた上で慈しみ、又は愛情という光に出会うんだろうね。
消すんじゃなくて、受け入れる。
なるほど、至上の愛は憎しみが慈しみに変わる時に生まれるのか。

nobody knows

  • 2006-01-16 (Mon)
  • Film

nobody knowsここ2.3日は教習が日につき2時間しかないので、実家から通っています。車と電車で1時間くらいの距離なので楽ですね。
昨日は友人と高校生の頃よく行っていた城跡に行き、今日はDVDを観ていました。
長い間観たいとは思っていたのですが、なかなか観る機会がなかった「誰も知らない」です。
是枝監督は割と好きで今までの作品は全部観ているのですが、「ワンダフルライフ」は忘れられない映画です。
邦画を見るのが久しぶりというのもあるのですが、はやりとても静かで透明感があって・・・独特ですよね。
雪の中にいる感覚に近いなぁ・・・などと思いながら観ていました。
最近は映画を分析することも少なくなり、純粋に空気感を感じるようにしているのですが、なんとも切なかったです。
強さも感じましたが、理不尽さも感じて、なんで「誰も知らない」というタイトルにしたのだろうと思いを巡らせました。
だって、近所の人やコンビニの店員、後半仲良くなった女子高生、友達だった男の子達などは「知っていた」し。
しかし、何もせず物語は悲しい結末に向かっていくのです。
「何もせず」は正しくありませんね。何かはするのですが、その一時だけというか。
「知る」ということは単に現実を見るということではないのだと思うのです。
上手く書けませんが、「本当に知る」ということは「知った」ことに対して自分から絶えず接することなのではないでしょうか?
まだ頭の中は?だらけですが、そんな事を思いました。
逆説的ではありますが、誰もが知っているからこそ、真実は誰も知らないのではないでしょうか。

乱歩さん

  • 2006-01-08 (Sun)
  • Film

乱歩地獄2今日は古い友人と長野市まで出掛けました。いい天気だったので懐かしい曲なんかを彼女の車の中でかけながらブーンと。
彼女とは8年来の友達で、高校時代はよく遊んだので懐かしさを思い出しながら、よく行った小洒落たレストランや古着屋などを再び訪れました。
その小さなレストランではJAZZの生演奏なんかがあったりするんですよ。
長野市は雪も地元よりは多かったので途中コケたりもしましたが(笑)、瞬間的に反応して煙草をくわえたまま片手をついて起き上がった自分に驚きました。
雪国で育つと無意識に反応できるものなんですね〜。感心、感心。
古着屋では面白い店員と仲良くなって、ふと閃いたのはショップって何かと使えるかもしれませんね。
何か可能性を感じるので模索してみます。
と、そんなことを話しながら先日、記事にも書いたジャーン!「乱歩地獄」を観てきました。
カルト友人S君からは東京ではすでに公開終了との情報をもらっていたのですが、そこはローカル長野、13日までやってるそうです。
ローカルっていうのも良いこともあるものですね。感心、感心。
映画は、いやはや、なんともアーティスティックなものでとても魅力的でしたよ。
短編4本を別々の監督が撮っているのですが、なんとも変な統一感があり、思うにそれは主演俳優の一致と原作の奇妙さ、それに低周波によるものです。
この低周波というのは音楽担当の池田亮司や大友良英のノイズ音(20〜50Hzくらいの)なのですが、彼らが担当してない短編にも洗濯機がその音を出しているのです。
音で統一感って興味深いですね。
因みに僕は「鏡地獄」という短編が好きでした。しっかりしたストーリー、巧妙なカメラワーク、上手い小道具の使用などでディティールをしっかり詰めてありました。
どうやら僕は細部に愛着を感じるタイプの人間らしいです。
「火星」のナントカ(タイトル忘れた)も良かったな。画が綺麗だった。
前編を通してエログロなのですが、(四肢を切断したり、腐乱し始めた死体に色を塗ったり、裸はしょっちゅう出てきます)不思議と嫌な空気はありませんでした。
こういうのは大抵しかめっ面になったり、嫌悪感を覚えるのですが何ででしょうね?
関係ないかもしれませんが、今ふとこの一節を思い出しました。
「ライヒによれば、マゾヒストの苦痛の趣味は苦痛を愛することから来るのではなく、苦痛によって強烈な感覚を手に入れたいという期待からくるという。
しかし、人々がなぜ苦痛を求めるかについては、ライヒとは正反対のもう一つの説明があって、それもぴったりくるように思える。
つまり、もっと感じる為ではなく、もっと感じない為に苦痛を求めるというのである。」(susan sontag {on photography})

自由に生きる為に必要な数の名前

  • 2006-01-07 (Sat)
  • Film

howlはい、こんばんわ。
今日は家で独り、煙草をくゆらせながら「ハウルの動く城」を観ました。
昨年、友達に海賊版をみせてもらってから「こりゃ、宇宙だ!!!」ということで忘れられなかったのですが、約半年振りに観たらやはり涙の洪水でした。
公開当時はなぜか凄く忙しく、同居人が観にいって薦めてくれたにもかかわらず(あれは好きな人と観にいったほうがいいよって)キムタクが声をやっていることも手伝ってか、結局観に行かなかったのを思い出します。
嗚呼、あの時好きな子と観にいけば良かった・・・・と少し思いましたが、いずれにしろこの映画とは出会うことになったでしょう。
もう、本当に素晴らしくて、言葉にすると陳腐になってしまいそうなのですが。
ソフィーがおばあちゃんにされてしまってから、時々若返るのです。
その時には決まって信じる力と愛する力が彼女には備わっていて、それがほんと瞬間瞬間で変わるのです。
全ての人は意識の底で繋がっているということを実感するし、愛するって素敵なことだなと暖かい気持ちになります。
見てない人の為に最後までは書きませんが、つまりは
「未来で待ってるから」
ということです。

不純な雪

  • 2006-01-03 (Tue)
  • Film

乱歩地獄やっと時差ボケが治り、ぐっすり眠り、朝起きたら外は一面の雪でした。
そして今も降っています。小さい頃から雪は大好きで、確かに寒いし冷たいのですが、あの無垢な白で塗りつぶしてしまうサディスティックな雪に快感を感じるのかもしれません。
もっと降れ、全てを埋め尽くしてくれ、僕も消してくれ。と。

さて今日は親戚が来て昼間からお酒を飲みました。
久しぶりの日本酒だったので、美味しいのか不味いのか分かりませんでしたが、昼から飲むのもいいものですね。
5年ぶりくらいに会ったおじさんが面白い人で、昔は気づかなかったなぁ・・・・
その後はまたしても「電車男」を観ながら、純愛したいなと思い、しかしこういうドラマが流行るという日本は、日本人は純愛に焦がれているのでしょう。
まあ、一つの理想形ではありますが、オタクの地位が向上したとか、シンデレラストーリーだとか、伊藤美咲がかわいい(死んでも「萌え」は使わない)とかは実は僕にはどうでもいいことで、「純愛」に焦がれる反面、「不純」にも焦がれています。
つまり雪に対する感情と同じものです。
恋は雪みたいなものかもしれませんね。

強引に繋げますが、不純ということで今はこの映画を観たいのです。
「乱歩地獄」
詳細はHPなどでチェックしてもらうとして、この映画4本立てのオムニバス(全部違う監督)なのですが、音楽が大友良英や池田亮二なんです。
まだやってるのかな?興味ある人は一緒に行きましょう。
そして、純愛もいいのですが「不純」に「萌え」ましょう。(あっ!)

なんともアンビバレンツな性格ですが、全ては雪のせいにして・・・・・・・おやすみなさい。いい夢を。

lilya 4 ever

  • 2005-09-16 (Fri)
  • Film

lilya昨日これ観ました。夜中に独りで。
思っていたものと全然違う映画で、悲痛で、その痛みを逃げ場の無いものだった。
大筋は母親に捨てられた16歳の少女が過酷な現実の中で打ちのめされていき、終いにはトラフィッキングされてしまう。。。そこにあるのは希望か絶望か。

ロシアの小さな町の透明感のある映像と、どうしようもない現実のなかで退廃していく心。
それを繋ぎ止める、少年とのささやかな愛情にも似た友情。

全体的に悲しみ色のヴェールで包まれていて、それがまた雪の景色によく合い、決して派手な映画でない分、時間の経過と共に雪が積もる様に退廃の色も増していく。
観る者の何に対してか分からない怒りと葛藤(ノンフィクションなのは誰でも気付くはず)も、主人公が時たま見せる「生きる力」によって、ありがちな同情や哀れみだけが残る映画にはならなかったが、決して明確な答えなどくれない。
希望を与える事はないが、決して絶望をも与えない。
その両極で揺れる魂の葛藤の中に隠されているのは、人間が根本的に持つ「生きる力」のヒントなのではないだろうか。

永遠を感じない大きな水溜り

  • 2005-03-17 (Thu)
  • Film

spうええ。引越しって思いのほか大変なのね・・・ふう〜
ダンボールもらって来て荷物を詰めているのだけれど、案外多かったり、本とか写真とか見ちゃったりしてなかなか進まないのですよ。


そんな中、昨日は「swimming pool」という映画を観ました。
フランソワ・オゾンね。リュディヴィーヌ・サニエね。
この作品はすごく絵が綺麗で女性的なんです。南フランスが舞台というのもあるけど、テーマにしろ空気感にしろすごく女性的。
ミステリーという括りではあるけど繊細な描写が多く、ミステリーもぶっ飛んでる程の謎でもなく(最期にどんでん返しがあるのですが僕には何故だか妙に納得できた)、ミステリーという仮面をかぶって表現したかったものが素直に伝わってきます。

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屋上に置き忘れた青春

  • 2005-02-10 (Thu)
  • Film

69最近へこみ気味だったので気分転換にこれ見ました〜

「69」

そう村上龍が原作で、クドカンが脚本やったやつ。
確か去年の夏に公開していたんだけどキャスト的に映画館に行くほどではないなあと思っていまして、DVDレンタルしてたので見てみました。
ちょっと面白かったですよ。たまにはこういうのもいいですね。
青春時代を思い出し、だいぶ若返りました。
ハリウッド的娯楽映画は緊張開放時に得られる精神のマッサージ効果がありますね。
故にこんなんばかり見てるとボケボケになりますが、たまには頭カラッポにしてみるのがいいとおもいます。
ってか69年をテーマにするなんて「重い話」も入ってくるのかとおもっていたのですが、いやはや、娯楽映画でした。
(因みに原作は読んでないのだけれど、どうなんですかね?)
なのでこんなボケボケの文章しかかけませんが(映画のせい?・笑)、ヒロイン役の子が可愛かったので、まあいっか〜〜

リリィはカモメ

  • 2004-12-09 (Thu)
  • Film

liliこんばんは。
さっき友達と長電話してしまい、もうこんな時間です。
生まれて初めてメッセンジャーなるものを体験し、凄いねあれ。

ということで(どういうことだ!?)今朝も映画を観ました。
【LA PETITE LILI】
(監督・脚本:・クロード・ミレール
    出演:リュディヴィーヌ・サニエ、ジャン=ピエール・マリエル、
    ニコール・ガルシア、ロバンソン・ステブナン)

あらすじは、有名な女優マドは息子と兄、恋人と共にバカンスを過ごしている。
息子は恋人のリリィを主演に短篇を作製し、毋とその恋人で映画監督のブリスを前に鑑賞会を催すが、毋の批判とブリスの同情的な眼差しに嫌気がさしてしまう。一方リリィはブリスと急接近、2人で出てしまう。
4年後女優として成功したリリィと偶然出会ったマドとブリス。
息子ジュリアンが「あの夏」を題材に映画を撮るという。自分の役を自分で演じたいと主張するリリィは......。

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brown bunny

  • 2004-12-07 (Tue)
  • Film

brown bunny

今日はこれ見ました。brown bunny

ストーリーは・・・
レーサーのバド(ヴィンセント・ギャロ)がニューハンプシャーでのレースを終え、マシンを黒いバンに積み込んで独り次のレース地カリフォルニアへ向かう途中、幼なじみのデイジー(クロエ・セヴィニー)の実家に立ち寄る。
娘から音沙汰がないと嘆く母親に、カリフォルニアで彼女と2人で暮らしていると告げる。
時が止まっているようなその家では、遠い昔、幼いデイジーが可愛がっていた茶色の子ウサギが今も生きていた…。
西への旅をさらに続け、カリフォルニアに辿り着いたバドは一軒の家のドアを叩く……。

5年ぶりの新作となった、ヴィンセント・ギャロのアメリカ大陸横断ロードムービーは感傷的かつ叙情的。
そして描かれるのは、異様に長いカットのシーンと時たま流れる音楽が一体となった哀しくも美しい物語である。

旅の途中で出会う、花の名前を持つ女たちとのふれあいも(violet /lily /roseなんて憎いね)、主人公バドのやるせない心を慰めることはない。

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[誰もがいつか失う重さ]

  • 2004-11-20 (Sat)
  • Film

21g体調が悪い日々が続いていて、禁煙することにしました。
もう何回目か分からない禁煙ですが。。。

今日久しぶりにビデオを観ました。
「21g」を観たんですが、心が震えるような作品でした。

メキシコ人監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥが、ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロを主演に招いて撮った新作映画。
エピソードをバラバラにして継ぎ合わせたような手法(「カットバック」や「モンタージュ」)が使われていて、エピソードの断片は時間も空間も越えて過去と未来と現在が自在に結びつき、物語を少しずつ組み立てていきます。
霧の中から風景がゆっくりと浮かび上がってくるように、全体が少しずつ少しずつおぼろげな中から浮かび上がり、最後にはくっきりと全体が見え、その時にはすでに物語が自分の中にあることに気づきます。

このような編集の手法をとっているのにもかかわらず、心の中に物語が残るというのは出演している俳優たちが、小さな断片のようなシーンのひとつひとつに命を吹き込んでいるのだからでしょう。
 
静かで多くを語らない映画であるが故に、「21g」とは何なのか?という議論が起こるようです。
オフィシャルサイトのBBSにはこんな文章がありました。

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